昭和46年04月27日 夜の御理解
いよいよここで信心の稽古させて頂く者は、御理解がどのような意味を持つものか。私の周辺の起きてくる事柄がどのようなものか、と言う事をよくよくやはり観察して、生きた神様の働きをそこから感じとらして頂かねばならんと思いますね。今日はあの御祈念が終わって御理解も頂き終わって、もう皆さん達が、たぶん着きなさるかと思うころ、電話がかかってまいりまして、受話器を取りましたら。
帰ったら子供が窒息死していた、真っ青になっとるからそのまま病院に連れて行ったけど、これはもうしまえとる三時間にもなっとる、と言う事で又清さんが電話を掛けて、あのもう医者から連れて帰って来とりますと言うてですね、電話が掛って来ました。そしてまた、あいまのすぐ自分が直接お願いに見えられましたが、まぁだ生まれてから半年ですね、ほんとにあの風邪を引いておられたそうですから、鼻がでるまえかけがね、こうやってから、かかってほいでそのあの、かずえさんはね窒息死されたわけですが。
それからまたすぐ、お取次ぎに見えられましてから、お願いに見えられたときにね、清さん、元気な心で帰りなさい。帰り道々、今朝頂いた御理解をようと、特にあんた達の御理解を頂いた、あの御理解をようと、思い浮かべてから、帰りなさいというてから、言いましたが、もう私が帰りましたら、もうすでに白い顔が顔にかけてあったと、してもうそのそのとき聞かれましたですたい、「先生、もう帰り道々、考えて帰りましたけども、もう心が錯乱して分らなかった」と。
そいでどげなことじゃったじゃろうかと言うて、又、お取次ぎがありましたが、今朝のご理解の中に、あんたのかたのお話しをさして頂くときに、あの「死んだならよかたい、また買おうたい」という言葉が出てきたろうが、あれがそうですよと。だからね今度やはり亡くなったと言う事はね、今度亡くなったと言う事は、あの今度又新たに頂くだろうが頂くのは、今までのような状態で頂いたら出来ん、これは取分けあのね、あの日が晴れたときに、親子でお礼参拝してきたときに、名前をてるおと頂いた。
そしてこれは、あちらの嫁さんがてるよ、といいますもんね、だからあのてるよさんがてるをいただいてというのじゃない、これはねあのどこまでも、てるよさんがあのこの子の、によって信心が生まれるという、新たな信心が生まれるて言う事のために、これの子供が生まれた意味があるとじゃから、お母さんのためのもしっかりと、本気で改まって、本気で改まった信心になるようにという、ご理解じゃったろうがのね。
だらというならば、犠牲をはろうても、親の信心をしゃんとさせて下さる事の働き。それから又改めて今朝からの御理解をいただいてから、もうほんとに、あのこのように間違いない働きであった、それからあの、ちょうど高芝さんたちが夫婦で参ってきておりましたもん。してちょうどあの、堤さんとこの話しをしてから、今朝からね、私の手洗いの、花が、もう真っ白い花を一輪さしてある。
すずかけの花が一輪ざしにさしてある。そんな話をしておったです、そりけん清さん、ちょっと、親先生の便所行ってから、あんた見てこんのどげな花か、それから見に行ったげな、白か花が一輪さしちゃったが、あのねえごつですか、ちゅうちから来ましたもん。あんたばっかりようと見よかん、こがしこああやって御理解頂きよって分るじゃろうもんちちから高芝さんが言われましたがね。
たしかにあの、白い花が私の部屋とか便所にさされているというのは、ああしたことがね、だから白い花がさしたからしまえるのじゃない。そういうチャンと約束事が、神様の深い広いお働き、のなかにそれがあるのだということをね、今日は亡くなった悲しいということよりも、そのことをほんとに分らせて頂いて、まあ時間が来たら家内とよく話し合ってですね、ほらもう親子だから、親夫婦が改まって、又新たな子を頂かせて頂かねばならんときには、いわば今の状態ではいかん。
死んだならよかたい、また買おうたい私たちね今度頂くときには、もちっとましな親にならせて頂いての、それでなからなきゃならん、と言った様な事をまあ、そう言う事のなかからですね、合楽で頂くご理解がどんなに、あのひとつの真理的なまでに、いろんな不思議なものであるかと言う事、そりからの周辺に起きてくる、そのことを一つ一つがほんとに生きた神様の働き、そこに見え感じをお互いさせて頂き、もっと関心をこう持たなきゃならんのじゃなかろうか、こうおもう、ね。